沖縄観光客&地元子どもたちの「美術館絵・彫刻」感想集(2004年)[2]
 (沖縄観光客の皆さんや、地元の子どもたち他が即興で書いた、「恵子美術館や展示作品」の印象・感想文の中からピックアップして毎週掲載します。ただし、実名掲載希望の子どもたちの感想文は、本人特定が簡単に出来ないように過去に書かれた感想文から掲載しておりますので、学校、学年は現在とは異なっております)
恵子美術館・各展示室・写真集」(1)〜(8)        (9)11月7日新着
ようこそ恵子美術館へー若者たちの、エッセイ、感想集 [1]〜[4]
◆観光客(沖縄本島・八重山諸島も含む)
大学生の感想は大人に含みます
◆子ども(地元・観光客を含む)◆子どもたちの入館料は2回目以降は無料

又、足を運ぼうと思います
          安田様(岐阜県からきた大学生)

 メキシコの女性画家、フリーダー・カーロの絵とモチーフが似ていてびっくりしました。
 両者とも、実在の問題と故郷の民族がモチーフです。両者の作品とも、文字通り、自らが「産み出した」、と言っていいほどの内容が絵に表現されていて、私は大好きです。
 又、宮古島に来たら、足を運ぼうと思います。
9月26日新着

絵は人の感情をうつ

   渡真利睦美(平良市・農林高校1年)


 私は今まで、絵なんてきょうみなかったけれど、今日恵子美術館にきて、絵がこんなにもおもしろいものだと初めてわかりました。/略/
 私が一番きにいった絵は、「病む人たち」(若月朝夫)という絵です。
 私はこの絵を見たとき、病気している人の悲しみ、いたみが、いたいほどわかりました。
 この絵を見たとき、私はせすじがこおるような、こわい思いがしました。
 このように絵は、言葉よりも、人の感情をうつものがあると思います。
 これをきかいに、私も絵をかいてみようと思いました。
9月26日新着

迫力に圧倒されました
        神澤様(大阪府からきた大学生)

 迫力、圧倒、雰囲気。絵から伝わってくる何か。
 何がこの絵に込められているのだろうかと?、描いている人の気持を理解する楽しみがありました。
 メリハリのある色と、キャンパスを何枚も使って描く迫力にも圧倒されました。
9月26日新着

見ごたえがありました

        鍵屋様(大阪市からの観光客)

 ガイドブックを見て、「宮古島に美術館?」と、正直ピントこなかったんですが、外の空気とは別の、沖縄の人しか描けないような絵で、とても良かったです。
 他の作家の方々の作品も、人間の内面を浮きぼりにするような作品が多く、見ごたえがありました。
 ガジュマルの木って、私の中では永遠のイメージ(しかも哀しみも含む)があり、強くひかれました。
 美術館の外観は、すごく印象的でよいが、車で通っただけでは美術館と分かりにくい。
9月19日新着

「時代のカナリア」垣花恵子作品
     砂川さとみ(平良市南小5年生)

かれはカナリアだ。
かれは私の中で才能の木を生やし、
すばらしい卵(詩)を生んでいく、、、。
木の中のかれは、いろいろな事をかんじ、
もっともっと木を大きくしてゆく、、、。
かれは、いろいろな物をとりこみ、
いろいろな物をうみだしてゆく、、、。
それはまるで、
たくさんの星をうみだす宇宙のように
9月19日新着

「業」「因縁」「輪廻転生」のキーワード

       田中様(岐阜県から観光に来た大学生)

 垣花恵子さんの絵を見て感じたのは、「業」、「因縁」、「輪廻転生」のキーワードでした。彼女の絵が、何といっても一番パワーがあって印象に残ったように思います。
 一人や二人の人間の顔を大きく描くという方法は、女性的だと思います。日常生活において、女性は特定の人間に興味持ち、その人間を観察し、理解しようとします。それと通じるものがあると思いました。
 また乾いた視線で描かれた絵が多いようですが、その中にはナイーブな思いがこもっている絵があるように感じました。
9月12日新着

「榕樹の記憶U」垣花恵子作品

       垣花ひかる(平良市南小5年)

 この木には、いろいろなじだいのきおくがきざみこまれている。左から、これは死のせかいのきおく。昔はせんそうなどのあらそいで命をおとした人や、びょうきでなくなった人もいる。あたりを見れば、花は一りんもさいていない。海も、みまわせば血の色のようにしんなりしている。
 それとちがって右は、花がさきみだれている。大空はあおあおと、海もきれいにかがやいている。そんなしあわせなじだいが 今はある。
9月12日新着  

「さとうきび畑の歌」岡田徹に魅きつけられて
        辰巳様(徳島県からの観光客)

 恵子美術館には膨大な作品がひしめきあっている。上品な(ここが上品でないと言うわけではないが)美術館と違う鑑賞の仕方で私はみた様に思う。直観で、目に入った物だけをみるのだ。
 「さとうきび畑の歌(1)」(岡田徹)は目を魅いた。何においても浅い私にも画家の心が伝わった。戦争中の飛行機はトンボに変わり、目前に美しい海と砂浜が在る。平和が戻ったこと、戦が終わったことを喜んでいる。しかし、このカンバスの視点(始点)はやや低い。下方の草むらになっている、その草かげには戦で散った人々の骨がうずもれている。作者はそこから世間をみているということだ。その悲しみがドンと私の胸を襲った。彼のポジションが草かげから移ることはないだろう。戦争が人の考え方、人生観にどれ程影響したかということだ。
 私の説明では嘘もあるかもしれない。まず自分の目でみて感じて欲しいと思う。
9月5日新着

「さとうきび畑の歌(1)」
   しんざとかずしげ(平良市狩俣小3年)

さとうきびの中にいっぱいあるほね
その上にある目玉
空に行く人たちはかわいそうだ
こわいような かなしいような わからない
まるでみんな いやなようにきえさっていく
女の子がうしろをみている
かわいそうだ
さとうきびもかなしそうに
行くのをだまってみているようだ
もういちど あそびあいてをみつけてね

9月5日新着

夢の中の場所

            呉羽様(長野県からの観光客)

 沖縄に来る何日か前に、この青い箱を訪ねる夢を見ました。建物の中から強く、女性の存在を感じました。けれどその時は怖くて、中に入っていくことが出来ませんでした。
 沖縄を巡る旅では、美術館はおろか、画材屋さんを見かけることすら稀でした。これはきっと、この花と唄と踊りの島では、絵なんて物が不要になっているに違いない、とも思い始めています。ところが宮古で夢の中の青い美術館の建物を目にした時、それは違うと分かりました。夢の中の場所が、海の近くであるとは感じていましたが、まさか沖縄とは思ってもみませんでした。少しビックリですが、やはり何より嬉しくて笑ってしまいました。そしてその笑みと反面、絵は悲しい物語でした。だから笑い泣きです。沖縄はいつだって笑い泣き。何か自分自身の在り方を知りました。沖縄の皆さん、もっと自分を吐き出してください。

8月29日新着

絵が動くんじゃないかと 
  中程小夜子
(平良市第一小6年)

 
この美術館には一回来たいと思っていて、今日、友達と二人で来ました。中に入ると、しーんとしていて、その中ですごい絵を見ると、こわくなり、その絵が動くんじゃないかと、しんけんに見ていました。私は、全部の絵のしせんを感じ、絵を描いた人はとてもすごいと思いました。こんなに人をひきつけるような絵を描いたからです。
8月29日新着

たのしいです

     久高幸野(平良市第一小3年)
 けいこさん! わたしは、けいこびじゅつかんにきてたのしいです! 友だちにいじめられても、けいこびじゅつかんにきたらたのしいことがいっぱい! 絵をかいたり、作文をかいたり、とってもたのしいです!
8月29日新着
 

すごい迫力です

          新田様(大阪府から来た観光客)

 すごい迫力です。色彩もデザインも、押しよせてくるような圧迫感。絵をみてこんな気分になるのは初めてです。
 岡田 徹さんの「さとうきび畑の歌」(畑の中から頭蓋骨が見えている作品)を見て、昨日、石垣島の人からきいた開拓時代にたくさんの人が亡くなった話を思い出しました。
 沖縄の明るく輝く太陽と海の陰には、こうした悲しい歴史がうもれていることを、一枚の絵から伝えられた気がします。
8月22日新着
   

異空間
         
   川満さつき(伊良部町佐良浜中2年)
 
 目に飛び込んできた美術館の文字。
 「美術館」ってどんな絵があるのか、、、、。
 垣花恵子という人はどんな絵をかくのか、、、。
 初めて見る美術館。
 どうしても足が止まって 素通りすることができずにいるまま、かたまってしまう体に、私の脳が「入れ入れ、、、」 足は命令に従ってドアを押す。
 中に入ってみると、不思議な感覚に包まれた。
 「何これ」美術館という場所が他より静かな場所のせいなのか、飾られている絵が普通のよりも怖いせいか、、、。
 何も解らないまま絵を見て歩く。
 何も解らない頭の中に、目の中に、次々と入ってくる不思議な絵。
 「体が浮きそう」な感じ、フラフラしている。(略)
 また来たいと思った。
 そして今度来たら、少しくらいは理解できるといいな。でもやっぱり頭の中はカラッポになって浮きそうになるかも、、、。
 ここは異空間だから。
8月22日新着
何度も見たくなる
        平野様(北海道から来た観光客)

 第一印象は「夢に出てきそう」と感じました。 「怖い」という感覚です。
 でも、色使いと構成がとてもインパクトがあって、魅力的なので、また見たいと思ってしまいます。
 ここまで自分の内面を見つめられる絵を描ける強さ、、、が私には信じられません。何度も見たくなる(来たくなる)美術館でした。
8月22日新着
    感想集2005年[1]へはこちらをクリック

「顔」の話

      鈴木様(本土から来た観光客)

「顔」の話を書こうと思う。
美術館に入り、素晴らしい絵をみた。
作者は顔の描き込みに時間をかけるという。

「顔」と「性器」は同様にエロチックだと思う。
人間の内側にある内臓が外えのエネルギーによって発達したものが「性器」であるならば、「顔」もまた人間の内側にある心が外界へのベクトルを指す為に現れたものが「顔」であるのだ。

「目は口ほどに、、、」とはよく言ったものだ。
体内には無い、異質な物質を取り入れる為に体内と直結している入り口が顔であるなら、体内から自らの分身を排出するのもまた、同様の顔である性器という事になる。

私は「顔」が好きだ。
とりわけ、何の表情も示さない「仮面」が。
部屋の壁中を仮面で埋めつくした中に、自分がいる所を想像する度に何ともいえぬ官能を呼び起こされるののだ。
この美術館に入り、そんな気持ちを呼び起こされた。

「顔」の話を書こうと思う。
垣花恵子の絵の話を書こうと思う。
絵の顔が皆、私を見ていた。
(30歳前後の若者で、これだけの文章力は凄いので、セミプロの書き手かなと思いましたが、本人は、ただの会社員ですと謙遜していました)8月15日新着

足がとまってしまった
 
     下地瑞穂(平良市平良中2年)

 普段なにげなく通っていたこの道で、私はいつもこの美術館のことが不思議でならなかった。いつもは遠くから見て「なんか、きもちわるそうな所、ぜったい入りたくない」というふうに思っていた。けれど、今回ぐうぜんこの通りを自転車で通った時、つい足をとめてしまった。どうしてなのかわからないけれど、足がとまってしまった。(中略)
 いろいろ中を回ってみて、私はなぜか心の中に残った絵をみつけた。「海の風景―サイパン幻想シリーズ」(加藤すみ子作品)を見た時、サイパンは第二次世界大戦中多くの人が死んだ場所でもあるということを思い出した。海では多くの人が死に、その体を波がよせては返していたのを、本で読んだことがある。この絵の中にあるいくつかの目、それは私をにらみつけているように見えた。かと思うと、次は泣いているようにも思えた。私が思うに、この目は、海で死んだ人々の思いがこめられているように思えた。こんなに心に残るような絵に出合ったことが、今までなかっただけに、これはもっと他の人にも見てもらうべきだ、そう思った。
(この感想を書いて以後、恵子美術館を時々訪れるようになった地元の中学生でした)8月15日新着

「恵子美術館」万歳

       比嘉(沖縄県立芸大3年)

 すごい美術館だと思いました。かげきで、今っぽくてステキです。とりそろえた作品も、かなり好みのものが多く、嬉しい限りです。
 恵子美術館、というネーミングが先ずステキです。そして外観、これはもう、入らざるをえない感じでした。やられた、僕もこれくらいパワーがあることをしたいです。
 沖縄本島に、こんな美術館がバンバン建ってほしい。すごいぜ宮古。
 「楳図かずおと少し似ている」と、失礼な意見を言ってしまってゴメンナサイ。でも、しょうげきてきな絵でした。どこか医学的であり、宇宙的でもあって、ドキドキしました。また来たい。
 恵子さんはさいしょペラペラしゃべって「絵を見に来たのに、うるさい人だなー」と思いましたが、だんだんと、なるほど、この人なら、この絵をかけるかもと思えてきました。やさしく親切な人であると思った。来てヨカッタです。

(沖縄本島出身の、沖縄芸大デザイン科在籍の学生でした)8月8日新着

とても感動した

    奥原和佳奈(県立・宜野湾高2年)

 最初、美術館に入った時、大きな額に大きな顔の絵がかかれているのを見た時すごいと思った。 「榕樹の記憶」とか「仮説」とか「方程式」とか、大きな額を二つも三つもつなぎ合わせてかいていて、すごいなーと思った。
 自分はあまり絵のことはわからないし、下手だし、今まで美術館にいっても、あまり見る気なかったけど、でもこの美術館の絵は、今まで見たどの絵よりも興味があったし、顔の表情とかもすごくいいし、ガジュマルの木のひげだって、見た時に「こんな感じのひげがある!」と思ったぐらいすごい絵で、とても感動しました。怖い絵もあるけど、本当は、そう見えるだけであって、なんかせつない絵もあって、すごくいい絵だなぁと思いました。
 私が好きな絵があります。「榕樹の記憶(1)」です。女の人が泣いている顔がとても印象に残っています。
 今度また宮古にくることがあったら、またこの恵子美術館に来たいです。
(沖縄本島から親戚の家に遊びに来た高校生でした)8月8日新着

パワーが絵からにじみでている
         中川(沖縄県立芸大3年)

 美術館の壁一面が全て絵でおおわれていて、その絵の大きさに圧倒されてしまいます。
 一つ一つの絵がとても大きく、その絵を描くためのパワーが絵からにじみでている感じがします。
 絵の大きさもさることながら、色の使い方も大変大胆な使い方をしている。圧倒される感じは、大きさと色との相乗効果によるものだと思われます。
 一枚一枚の絵がつなぎ合わされて、さらに一枚の大きな絵になるというのも面白い。
 一枚一枚は別の意味を持った作品だが、つなぎ合わされて新たな世界が開けてくるのだと思われます。(垣花恵子「榕樹の記憶U」)
 私自身は「暖」(筒井年男)という作品が好きです。
 意図的な偶然からできる抽象表現というものは、見る側に大きな世界を見せてくれると思います。
 また「漆」という、光沢と厚みのある、油絵具とは違った表現のできる素材を使っている事に面白みを感じました。
 子どもたちの絵の感想文集を読んで、「こわい」とか「不気味」といった表現が多く見られましたが、きっとそれは、絵の迫力といったパワーをこのように表現しているのだと思われます。
 子どもは、思った事、感じた事をストレートに表現できていて、私自身としてもうらやましく思えた。
 子どもの絵の感想文集は、言葉たらずの中にも、感じたことを必死になって表現しようとしているところは、尊敬すべき所だと思いました。

(県外から、沖縄芸大デザイン科に入学した学生でした)8月1日新着

「人間模様」浅野輝一を見て

         仲本寿乃(平良市東小6年)

不思議だな。
声も出ない。耳も聞こえない。目も悪い。
でも、だれがなにをしているのかちゃんとわかる。
うれしいときにだきあって、
おかしいときには笑いあい、
かなしいときは泣きあって、
人間ってすごいんだ。
長い間いっしょにいれば、何を思っているのかわかるんだ。
長い間生きていれば、人の心がよめるんだ。
「あれしたい」「これしたい」「あれほしい」「それほしい」
だからよかったと思うんだ。
声がでなくても、耳がきこえなくても、目が悪くても。
人間に生まれることが。
心と心のテレパシーができるから、
どんなに不自由でもいい、
みなながいればそれでいい。
人と人がささえあっていく人間模様
世界中の人間模様を作りたい
そうすれば、
そう、
きっと、
必ず争いのない日がくるから。
少しずつでいいから作っていこう。
世界中の人間模様を !!

(8月3日、浅野輝一先生の来島、来館の際に朗読する予定です)8月1日新着

迷宮美術館
        土屋様(愛知県からの観光客)

 四時間半。
 いきなり何の数字かと思われるでしょうが、これは私が初めて恵子美術館を訪れた時に、そこで使った時間の事です。
 小さな宮古島の小さな美術館。不思議で、生々しくて、少しこわい絵を描く垣花恵子さんの絵を中心に、色々な現代画家さんの絵を集めた小さな美術館。それが恵子美術館です。
 何度も申した通りに、本当に小さな美術館ですので、一つ一つじっくり見て行っても四〇分もあれば十分でしょう。通常ならば。
 それでは何故、私が四時間半などという時間をこの小さな美術館で過ごしてしまったのかと言えば、それはつまりここが通常ではないからです。
 そう、ここは正に迷宮なのです。
 唐突ですが、皆さんは「ドグラマグラ」と言う小説を御存知でしょうか?。昭和初期の作家、夢野久作の作り出した一大“迷宮”小説のことです。
 筋らしい筋もなく、謎は解ける事なく深まり続け、読者はいつしか小説を読んでいるのかどうかすらも判らなくなって行くと言う、徹頭徹尾ひとを迷わせる様に作られた小説。
 私が恵子美術館に入って最初に感じた印象が、正にそのドグラマグラの感じでした。
 押し迫って来るでもなく、引き込むでもなく、そこにあってじっとりとした体温を放つ作品。こちらが“見ている”筈なのに、何故か後ろから“見られている”様な感覚をおぼえる作品。
 どの作品も、どれ程じっと見ていても結論が出ると言うものではなく、何か心が残り、また作品の前に戻ってしまう。
 恵子さんの作品には無限環(ループ)が多く出て来ますが、正にその通りに終わりのないものばかりで、それらがまたずらりと並んでいるのです。この美術館は。
 一つのループを抜けてもまた次のループ、それを抜けてもまた次の、、、。
 出口の見えない迷宮体験。宮古島に来る事があったなら、あなたも是非体験してみて下さい。ただし、時間はたっぷり用意して、、、、。

(バイクで沖縄本島、八重山諸島を巡り、数十分前に宮古島に辿り着いたばかりの若者でした)7月25日新着
                  
ゴールをめざして

ー小林四一彫刻「ゴールを目指して」を見て−
      古堅春香(平良市平良中1年)

 今日はトライアスロン大会 !
 オレは、この日のために今まで練習をつみかさねてきた。
 「ぜったい完走してやる!」オレの心はもえていた。
 あと五分でスタートだ、ドキドキがとまらない。
 「ピー!」笛だ、一歩前に走り出した。ズデッ、こけた。顔から火がでるほどはずかしい。
 オレはおくれてビリ、、、。
 「フン、ぜったい一番になるぞ」とオレは思った。
 自分が一番になるのを思いうかべて走った。
 走っていると、一人、また一人と抜いていった。
 「フン、オレにかかればこんなやつらよゆうだよ」オレはごうまんになっていた。
 それから時間がたった。気がつくとオレのまわりには誰一人いなかった。
 「やったぁ、オレは一番だ」と思って走りつづけた。
 走っても、走っても誰も見えない。ゴールも見えない。
 「キツイ!」でもゴールを目指して走った。
 ふつうなら、もうゴールだ。オレは道をまちがえているのだ。
 オレは、それを知らずにゴールを目指して走っていたのだ。
 そして、今もゴールを目指して、、、。

(小学校四年生の時から来館している超常連の子どもです)7月25日新着

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