沖縄の中学生「米英のイラク戦争反対」の投書が話題

「沖縄タイムス」2003年3月26日・朝刊「私の主張あなたの意見」より転載させていただきます
投書の宮里夢子さんは「中学生・人権作文」沖縄県最優秀賞も受賞しています。クリックすると作文が読めます

[論壇]ー戦争の代償ー指導者は歴史に学んで

宮里夢子(平良中二年)

 私が期末テストの勉強をしていると、どこからか「戦争反対!」という声が聞こえてきた。窓の外をのぞいてみると、そこにはプラカードや旗を掲げた人たちの行列があった。その瞬間、なんだか胸があったかくなるような気持ちになった。
 期末テストが終わり、三年生が卒業し、米英の強引な戦争が、ついに始まってしまった。そして、日本政府は戦争を支持した。
 私は歯がゆくてたまらず、毎日この戦争のことばかり考えている。
 私は、今まで歴史の勉強をしながら、何度も腹を立てたり、うんざりしてきた。 歴史の教科書には、本当に「戦争」という文字が絶えない。いつだって歴史の中の指導者は、最後には戦争という間違った道を選んできた。歴史の勉強をしながら、これらの戦争によって、苦しみ、もがき死んでゆく子どもや女の人たちの姿が、生々しく目に見えてくるような気がした。
 私たちが歴史の勉強をするのは、こんな間違いを二度と繰り返さないためじゃないだろうか。戦争がどんなに恐ろしいものか、もう十分わかったんじゃないだろうか。
 戦争が残す代償は、計り知れないほど大きい。戦争のあった国で、地雷や不発弾によって体のあちこちを失ってしまった子どもたちを、私たちはいやというほどテレビで見てきた。
 私の住む宮古島でも、年に何回か不発弾が出てきたというニュースが流れるので、よそ事は思えない。 また、ベトナムやカンボジアやアフガニスタンの地雷は、私の生きている間に全てを処理するのは不可能という。  
 戦争は、戦争中だけの恐怖じゃない。戦争が終わった後も、その恐怖や代償が五十年、百年と残り続ける。

 国の指導者たちは、こんなことが本当にわからないのだろうか。
 本当の本当にわからないのだろうか。
 だから戦争ができるのか。
 戦争というのがどういうものかを考えてみれば、どんな理由があるにしろ、絶対にすべき行為ではないと思います。
 戦争は始まってしまったが、ニュースを見ていると、戦争に反対する人たちが世界中でアピールをしていた。
 私も何かしなければと思って、この作文を書いている。