八重山諸島・宮古諸島9島観光&恵子美術館への旅 [3]

      
河津みのる(詩人・エッセイスト)

[B]宮古諸島観光&恵子美術館
       
                                                                     
■恵子美術館へ
 石垣島から空路二五分ほどで宮古島へ。海中のサンゴ礁が見られる半潜水観光船を楽しみにしていたのに、大波で中止、そこで夕食後の予定を変更して同行者をさそい、「恵子美術館」へ出かけることにした。
 平良港ちかくのホテルからゆるやかな坂をのぼっていく。
 宮古島の昼すぎは、春三月だというのに、初夏のような日差し。半袖でも暑いくらいだ。
 まずは腹ごしらえと、メインストリートの西里通りで「ソーキそば」を食べる。
 スープがとろっとしている。けど、くどくはない。
 「あら、骨つき肉。そば、スープともおいしいわ」傍らの妻が目をほそめている。
 ご満悦の自分は、丼のスープをのこさずたいらげる。
 「市街地マップ」をひろげて店の人に「恵子美術館」の所在をきくと、そこの交差点をまがり、すこし行くと下里通りだと。

恵子美術館入り口での記念写真。両端が河津夫妻
 
 角をまがると、日差しを青くはねかえし、タイル張りの瀟洒な「恵子美術館」が目にとびこんできた。友人の垣花恵子さんが事前に電話をしておいてくれ、受付に名前をつげると、館長の垣花恵蔵さんが入館料などそっちのけで、「どうぞ、どうぞ」と、招き入れられてしまった。
 恵子さんらが発行する『すけっちぶっく』でみていたから、ひと目みて恵蔵さんだとわかった。
 恵子さんの父親だ。どこか威風を感じさせながらも、人なつこい目をもっている。
 館内に入っていくと、「仮説」「榕樹の記憶」などが壁におさまっている。
 東京都上野美術館以来のめぐりあいだ。絵画の前でじっと見入る。
 ――人間がいる。奥深さがある。幻想の中から人生を語りかけてくる。いや苦悩があり、葛藤がある。 いやいや、人間のロマンがこもっている――
 絵画から胸にひびいてくるものは、なになんだろう。そんな思いにふけっているとき、母親のヒロさんがお茶をいれてくれた。
 顔かたちが恵子さんそっくり。衣服に気品がみえる。オレンジ風の果物がおぼんで出された。
 「これ、タンカンです。食べてみてください」
 表皮はくすんだ黄色だが、厚皮をむくと、果汁が甘く舌先にやさしい。コーヒーが出され、カステラまではこばれてきた。
 「バナナカステラです」
 甘いものが大好物、目を輝かせながら口に入れると、ほんのりバナナの香りがただよってくる。
 「恐縮しごく、もうかまわないで下さい」
 たいていの美術館は作品保護のために、写真はとらせないがここではよいと。あけっぴろげの人のよさだ。
絵画の前に、皆んながならび、写真をとる。アンケートを書く。
 しばらくすると恵蔵さんがなぜかそわそわしている。「恵子が琉球放送テレビに出演するんです」と。
 「沖縄タイムズ」をひろげ、顔をほころばせている。その指先を追うと紙面に「うちなぁちからこぶピープル・スペシャル 元気印のこだわる編!」とある。
 赤く飾った大きめの活字の「きょうの見どころ」欄には、「─地域で活動するパワフルな仕掛け人たち─宮古からは個人美術館の話題を紹介」と、トップの扱いだ。
 
恵子美術館内での記念写真。両端が河津夫妻
  
 午後三時、皆んなの瞳がテレビに釘づけとなる。後方からカメラをかまえると、「こちらへ、こちらへ」と、館長室へ導き入れられてしまった。
 しばらく待つと、「あっ、恵子さんだ!」
 テレビ画面の恵子さんが来館者の感想を活用しながら「子供時代に、ほんものの芸術にふれることがいかに大事か、つくづく…」と、語っているのが印象深かった。
 この瞬間をのがすまいと、シャッターを押す。ぶれがちな指先、テレビ映像がうまく撮れるだろうか。
 放映がおわって、やおら恵蔵さんが語りだした。「恵子は幼いときから絵がすきで……、でも、いま数分おきに目薬をさしつつ、創作に挑んでいるのです」
 手で目薬をさす動作をしながらの、愛娘に思いをよせるしみじみとした口調だった。
 傍らの妻も胸があつくなっているのか、そっとメガネをはずして、ハンカチをあてている。
 ――ほんものに触れたときは、優しい心持になれる。
 ふと、友人の言葉がうかんできた。
 翌朝、ホテルのフロントで地元紙をみる。「子供たちの挑戦、ロープをにぎり岩場をのぼる」と、第一面に報道されている。どこか,牧歌的、家庭的なふんいきだ。
 他紙をみると、「軍港浦添施設阻止」をかかげ、「市民総決起集会」と、こぶしをつき上げたカラー写真入り。「宮古新報」は、「無愛想でサービス精神ない 商店街の課題を指摘 タウンマネージャーが提言」の記事をのせ、町長や村長の「施政方針」を大きくとりあげていて、ローカル紙の地元民との密着度の濃さがうかがわれた。
 海辺の散歩に出かけた。ホテルの前には、ソテツがうろこ状の幹をのばし、鳥の羽のような緑葉をひろげている。その中心部が茶色っぽくとがったのと、丸っぽくふっくらしたのがある。ソテツにも雌花と雄花があるのかと思いつつ聞いてみると、とがったのが雄の株で、ふっくらしたのが雌の株だと教えてくれた。
 トックリヤシが実をつけている。すこし歩くと、人頭税石が立っていた。
 一六O九年薩摩の侵略に、琉球王府が財政に窮迫し、男女一五歳以上五O歳まで税が課せれた。男は粟を、女は宮古上布を納めたという。この石は高さが一四三センチで、背丈けがこれ以上になると課税され、一九O三年になってやっと廃止になった。
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