沖縄本島観光ツアー日記[4]
ー世界遺産ー「今帰仁城跡」「座喜味城址」「玉陵」他へー

     河津みのる(詩人・エッセイスト)

[4]ー世界遺産ー「今帰仁城跡」「座喜味城址」「玉陵」他
(一部写真は「真南風ネット」フリー写真を借用)
                                                                     
■世界遺産「今帰仁城跡」「座喜味城跡」観光へ
「今帰仁城・城壁」(「真南風ネット」フリー写真より)

 沖縄本島には、いくつかの世界遺産がある。今帰仁(なきじん)城跡もそのひとつだ。
 すこし高台にある素朴な山城だ。石畳をしきつめた坂道をのぼっていく。
 それほど大きくはない、五Oセンチ前後の石をぎっしりとつみ重ねて、城壁をつくっている。いつ、だれによってきずかれたのかは不明なところが多く、一三世紀ころに、城づくりがはじまったそうだ。
 石積みの正門をくぐる。門の両側にある覗き穴は見張り番がいたところか。自然石を利用した野面積みで、古城の風格をただよわせている。
 ここは、北山城ともいわれる。さらに、のぼっていくと琉歌の歌碑がたっていた。北山王の側室が絶世の美女だったという。老年になってできた子を可愛がって時期はずれの蜜柑にたとえ、城内の平和な様子をうたった琉歌だった。
 主郭(しゅかく)は、本丸跡だ。高台だけに、眺めはさすがだ。足もとをみると、片側が絶壁になっている。
 敵の侵入にそなえたのであろう。曲線をえがいた城壁の石積みは、風雨に耐え、ほぼ原型をとどめているように思えた。

 
「座喜味城址」城壁の上に立つ河津夫妻

 
座喜味(ざきみ)城址も高台にあったが、やはり同様な石積みだった。
 本土にある城壁とちがって、どこか素朴でありながら、味わい深いものを感じさせられた。

            
■世界遺産「玉陵」観光へ
 
玉陵(たまうどぅん)も世界遺産だ。
 一五O一年に尚真(しょうしん)王が父の遺骨を改葬するために、陵墓として築いたものだ。
 当時の板葺(いたぶ)き屋根の宮殿を表した石造建築物で、墓域は二四四二平方メートルの広さだが、心をしずめる、霊験あらたかといった雰囲気を漂わせている。
 沖縄では、埋葬に洗骨(せんこつ)の風習あったが、墓室は三つに分かれ、王と王妃、家族などが葬られていた。


 玉陵碑には、尚真王外八人の名が記され、この書き付けに背くならば、"天に仰ぎ、地に伏して崇めるべし"と結ばれていた。王室内に勢力の対立があり、廃されてしまったようだ。
 沖縄戦で大被害をうけたが、三年余りの修復工事で往時の姿を取り戻した墓所、やはり一見の価値がある。


■「万座毛」「パイナップルパーク」観光へ
 
万座毛(まんざもう)の駐車場につくと、「ぷち・パイン」が売られていた。
 五センチほどのパイナップルに、七センチほどの緑葉が重なっている。
沖縄にしかないお土産だ。一個が百円の安さ。二〜三週間は、そのままで鑑賞用として楽しみ、葉の部分をきりとって、育てようーと、図入りのチラシがついていた。 
 海は、紺碧(こんぺき)色にひろがっている。恩納海岸の崖の上にある芝生の道をあるいていく。
 
「万座毛」をバックに記念写真の河津みのる氏

 万座毛は、珊瑚礁が隆起し、波が断崖をつくりだした、沖縄きっての景勝地だ。
 突端に象の頭の形をした奇岩がみえる。そこからの緑の芝生の広がりが、「万人を座らせるに足りる毛(野原)」で、地名の由来になったという。   
 青い海の向こう側に、白いホテルが輝いて見える。サミットで来日したクリントン米大統領が宿泊したところだった。 
 名護パイナップルパークにつくと、紅紫いろのブーゲンビリアが歓迎してくれた。
 トックリヤシモドキがすくっと背伸びしている。ガイド嬢について園内に入っていく。膝ほどの高さで、パイナップルが葉をせめぎあうようにぎっしり植わっている。
 「パイナップルにはおよそ一八OO種ありますが、そのうち食用は、二OO種ほどになります。
 ここは、食用の畑ですが台風に実がやられてしまいました」
 ここ亜熱帯の地にも、きびしい自然がおそってくるのだ。が、緑いろの茎や葉はしたたかに、背筋をのばそうとしていた。
 屋内では、機械が器用にパイナップルの皮をむき、黄色い実をむきだしにしていた。その先に、パイナップルの切り身が山盛りになっていた。"食べ放題"だというが、三つ口の放りこんだだけだった。
 そこからは、ショッピングセンターになっていた。
 パイナップルワイン、ジュース、カステラ、ケーキなど、オリジナル商品がならんでいた。「激安宅配便!」オーケーと、観光に生きる心意気が伝わってきた。 
                                
 
      沖縄の原風景「琉球村」他へ