「第23回・人権作文コンテスト・沖縄県大会最優秀賞・琉球新報社賞」
「知性の力」(全文)
を掲載いたします

「第23回・全国中学生人権作文コンテスト・沖縄県大会最優秀賞・琉球新報社賞」
 「知性の力」   宮里夢子(平良中学校3年)

 私の両親は、私が小学三年生の時に離婚し、私は母子家庭で育ちました。そのせいか私は、自分がいつか結婚し、家庭を持つということを漠然と否定していました。  中学三年の公民の授業で、「未来の家庭シミュレーション」というのがありました。  将来結婚して新しい家庭を築いたと仮定して、「名前はどちらの姓にするか」「仕事は続けるか」「家事の分担はどうするか」「子どもが生まれたら、育児休暇はどちらが取るか」などを考えていくのです。こうして具体的に考えることによって、男女間の差別に少し気が付きました。
 戦後、日本国憲法や民法で男女平等がうたわれましたが、現実には「男は外で仕事、女は家で育児や家事」という性別による役割分業観が多くの人の中に残っているということでした。
 そして、私はこの問題について改めて考える機会を得ました。
 今年の夏休み、千葉県船橋市の伯母夫婦の家に一カ月間滞在し、目からウロコが落ちるような体験をしました。
 伯母のマンションのドアの前に立ってまず驚いたのは、伯父と伯母の名字が両方同じ大きさで並んでいたことでした。
「結婚したのになぜ名字が違うの?」と伯母に聞いたら、 「公民の授業で、夫婦別姓の運動のことを習ったでしょう。あなたが大人になった頃には、こういう表札がきっと普通になると思うわ。」 と答えました。
 伯父は会社員で、伯母は画家です。目にハンディを持つ伯母を、伯父はいつもさりげなく支えていました。伯母夫婦は、お互いが相手のことを思い、尽くし合っているからなのか、誰が家事をするかで争うことがありません。家事の当番表などはなく、臨機応変に、自然にしかも楽しそうに、役割が分担されていました。私にはとても信じられませんでした。
 日本国憲法第二四条で定められている、家族生活における「個人の尊厳と両性の本質的平等」という言葉を教科書で見た時は、表面だけの言葉に思えて、頭の中にすっと入ってきませんでした。けれど私は、「お互いに個人の価値を認め、それぞれの人権を尊重し合い、男性と女性が本質的に平等」というこの言葉の本当の意味を、二人の生活から教えられた気がしました。
 六年前、二人は沖縄県の宮古島に私設の美術館をつくりました。「美術館のない島の子どもたちに、本物の絵を見てほしい」というのが、二人の主な目的でした。それに賛同した全国の画家や彫刻家たちが次々と作品を寄贈してくれ、看板や外壁のタイルなどを寄贈してくれる人も現われ、たくさんの人たちの協力で、実現したのでした。  伯母は、宮古島に頻繁に帰って、美術館の用事をしなければいけません。その間、船橋に残った伯父は、会社に行きながら外食もせず、家事を全部こなし、夜は美術館のホームページづくりもやっています。そして、年に一度か二度は宮古島へ行き、美術館の作品の展示替えをします。
 宮古島に帰る前、私は伯父に、家庭における男女平等や男女共同参画社会をどう思うか聞きました。
 「なかなか難しい問題だね。職場や家庭での男女平等や、男女共同参画社会と言っても、それぞれのケースによって全て異なるから、あくまで法律は大まかな枠組みを決めるだけで、具体的な問題はそれぞれの男女が社会生活の中でケースバイケースで議論し、知性の力によって解決していくしかないんだ。男性と女性が素晴らしいパートナーシップを築き上げるために何をしたらいいか考えることが大事だと思うよ。」と、お風呂掃除の手を休めて答えてくれました。
 私は、伯父の「知性の力」という言葉に引かれました。動物的本能むき出しの、相手の人権を無視した暴力支配の家庭や社会に、男女平等社会はあり得ないと思いました。暴力では、女性は負けてしまうからです。
 また、女性の選挙権や被選挙権も、戦後制定された日本国憲法で上から与えられたというだけでできたのではないということも知りました。はるか大正時代から、平塚らいてうさんたちのような目覚めた女性たちの勇敢な主張や活動によって、その土壌が育まれてきた歴史を、授業や本を読んで学びました。
 個人個人が家庭の中の男女平等や民主主義を作り上げる努力をする一方で、社会的な啓蒙運動を盛り上げていくことが大切なのだと思いました。