追悼・宇井純先生
11月11日夕刻、テレビのニュース速報を見た友人から電話があり、宇井先生が今日(11日)午前3時34分、胸部大動脈瘤破裂のため亡くなられたとを知らされました。
 その夜、私たちは先生の死を信じたくない思いで先生の思い出や業績に思いを馳せて時間がたつのを忘れて過ごしました。
 けれど今日(12日)の朝刊各紙に宇井先生死去の速報記事が掲載されているのを見て、その早すぎる死にあらためて悲しみがこみ上げてまいりました。
 生前は、垣花恵子のクレヨン作品をコレクションしてくださり、恵子美術館のオープンに際しては激励の電話や『すけっちぶっく』への2度にわたる原稿執筆、恵子美術館訪問など、何度お礼を申し上げても足りないほどのご支援をいただきました。ここに心より感謝申し上げますと共に、謹んでご冥福をお祈りいたします。
 恵子美術館では宇井純先生の死を惜しんで、『すけっちぶっく』創刊号にご執筆いただいたエッセイを再掲載して追悼とさせていただきます。
合掌
  
                                  「恵子美術館」主宰・垣花恵子
                               「恵子美術館」広報・山田八郎

 (★写真は1999年10月15日から3日間、宮古島で開催された「全国水郷水都会議」のパネリストとして発言する宇井純沖縄大教授。★宇井先生のNHK市民大学口座で反響を呼び、後に日本放送出版協会(NHKライブラリー)から出版された労作、『日本の水はよみがえるか』の中で宇井先生は宮古島の先駆的な水道条例に多くの紙数を割いて紹介しています
)

小さいことの大切さー独立論との関連ー

                      宇井 純 (沖縄大学教授原稿掲載時の肩書) 

 垣花恵子さんの美術館が宮古に出来ると聞いて、なんとなく納得したような気分になりました。宮古島は、トライアスロンの島、神々の島という他に、もう一つの隠れた顔を持っています。それは島の未来を食いものにする妖怪が俳徊する島でもあり、心眼を以て見れば、垣花さんの描く世界がすけて見えるような気がするのです。私の仕事、下水道は、まさにこの妖怪が支配する世界でして、宮古ではこの世界のうま味に気がついて、積極的に中央から事業を呼びこんで、うまい汁を吸い、負担は次の世代につけ廻しをしようとする大小の妖怪が活動をはじめています。
 はじめて宮古へ来たとき、私はこの小さな島に大きすぎる人口をかかえ、そこで生きる人々の智恵に感嘆したものでした。とりわけ米軍の占領下で上からの命令に抗して作られた水道条例が、宮古島の地下水を全部公共のものとして独自の水道組合による管理を実現したと聞いて、まだ日本のどこにもなかったその先進性におどろきました。水資源という宮古島での生存の一番基盤になる貴重な天の恵みを、私有化を許さず共有化することを宣言した人々の先駆性は、宮古の中でもあまり広くは知られていません。
 そういう先駆性をもちながら、一方で目先が利くために、下水道のような眼前の利益だけを追って未来につけを廻す大小の妖怪も生れる条件があるのだなと考えさせられることがあります。大和と沖縄と、二重に疎外され、搾取された中で生きなければならなかった、苦しい歴史の中で作り出されて来た生き方の一つであるだけに、その善悪を問う資格は、私にはありません。ただ、そういう行為を放置しておけば、未来の世代が払い切れない負債の山を背負い、自治の枠の中で出来ることも出来なくなってしまう事実を指摘することはできます。
 おそらくこの妖怪たちも、本来はキジムナアと同じように、もともと愛すべきいたずら好きな存在であったのでしょう。それが今の公共事業という、あまりにもたやすく金もうけが手取り早くできるシステムに直面して、うまく立ちまわる手口を身につけ、妖怪に変身してしまったのではないでしょうか。この三十年ばかり下水道の世界に生きて来ますと、高度経済成長の中で日本人の物の考え方は次第にうす汚れてゆき、すべてを金で計るようになり、それに見合った政治家が中央も地方も仕切るようになって来た経過を見て来ました。その流れは少しおくれて、神々の島宮古にも及んで来ました。特に高度経済成長の中で今や時代思想の域にまで達した日本人の信条は、規模の利益、大きいことはよいことだ、大きくすれば必ずうまくゆくという考え方です。下水道をはじめとする公共事業でも、ひたすら大きな計画が追い求められ、そこに寄生する妖怪たちにとっても、全体のパイが大きくなることはありがたいことでした。
 しかし大きくなったパイの大部分は借金です。それは利子を生み、いつかは返さなければなりません。市民が心配するのは当然ですし、今後こういう失敗を繰返さないためにも、公共事業の中身についてある程度の勉強をしなければなりません。妖怪の食いこむすきを生まないような地域計画が必要になるでしょう。
 十年余沖縄に居て思うのですが、たしかに沖縄はいろいろな制約にがんじがらめにしばられて、そこから抜け出そうとして確かな手がかりがつかめずに苦労しているとつくづく思います。その制約があまりにもきびしいために、そこからの全面的な解放を願うあまりに「具体的な解放の手順をとばしてしまうのも、無理のないところかもしれません。新崎盛暉の言う、居酒屋独立論という批判も、確かに当っているところがあります。しかしたまたま縁あって沖縄に居る私のような人間には、この解放のための具体的な手順を示して、沖縄の自立を一歩でも進める手助けをすることが、今食べさせてもらっている一宿一飯の恩返しということになりましょう。今のところ、そういくつも手がかりがあるほどでもないのですが、私の専門である下水道については、巨大なものに大きな金をわけるのではなく、身のたけサイズの小さなものをコツコツ作ってゆくのがうまくゆく道であることが見えて来ました。あまり大きくしなければ妖怪の活動する余地もありません。また身のたけサイズのものであれば、自分で作りあげることを通して、その土地の条件に合った技術が身についてゆきます。
 そんなことを考えているときに、垣花恵子さんの小さな美術館の話が聞こえて来ました。芸術もまた場の大小があり、小さな島には小きな島の条件があります。特にこれから世界へ出てゆく若い世代に、先端の芸術を見せることは、公共の施設はもとより、あらゆる場所を使って実現すべき課題であろうと思いますが、それを私財を投じて実行しようとする試みには頭が下がります。特にストリートギャラリーを付設して、小学生以下の表現の場にしようというところが、今本当に必要なものを言いあてています。学校教育が立身出世のための競争の場になり、未来の人間性の展開ができなくなっている今日、それを外側から補おうとする考え方は、おそらく特に宮古において必要でしょう。恵子さんの作風にもまた宮古の現実が次第に反映して来るのではないかと期待しています。
 沖縄の自立のための産業育成とよく語られます。しかし大きな産業はどうやってもこれまで出来ませんでした。それより実現可能な小さな試みを何百と試みて、その中から何十かが生き残って成り立つ、こうした努力の結果今日の産業があるのでして、補助金をつければ産業が出来るような楽なものではありません。同様に百人、千人の芸術家が生れるならば、それは実質的に一つの産業に相当します。垣花さんの試みがその第一歩になることを期待して見守ろうと思います。

■『すけっちぶっく』創刊号よりテキスト化して転載させていただきます。


★上記に転載した宇井純先生の「小さいことの大切さ」の原稿を掲載した『すけっちぶっく』創刊号の表紙。

★宇井純先生には、『すけっちぶっく』3号でも「ある
科学少年の生いたち」をご執筆いただきました。